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第3回 対談ブログ ゲストはテキスタイルデザイナーの梶原加奈子さん

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月に一度ゲストをお招きし対談するコーナーです。

3回目のゲストは、道産子が生んだファッション業界の星!テキスタイルデザイナーの梶原加奈子さんです。

札幌生まれの札幌育ちの38歳、多摩美術大学に進み日本の有名ブランドに就職、数年後イギリスへ。
帰国後、オリジナルテキスタイルをベースに小物雑貨などを展開するライフスタイルブランド「グリデカナ」
をプロデュースしている梶原さん。
日本の様々な産地でテキスタイルを開発し、パリやミラノの有名ブランドなどにも生地を提供しています。
今日は、そんな梶原さんの素顔に迫ります。

一人でロンドンへ行ったときは?
自分のブランドを立ち上げることとは?
夢を叶える女性の生き方とは?


ロイトン札幌・日本料理の大和さんに協賛していただきました。












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(おかみ)今日はよろしくお願いいたします。

(梶原)こちらこそよろしくお願いします。素敵な和食処ですね、日本を感じます。

(おかみ)梶原さんの今日のストールも梶原さんのデザイン?

(梶原)はい。私がプロデュースしている「グリデカナ」のストールです。
籠染めというテクニックを使っているもので、籠に生地を入れてピンク色に染め、
再び籠に生地を入れてブルーに染めます。
そうすることで、2色の色が斑に見えてくるように染める事ができます。
また、素材にもこだわり、極細のカシミアで織った生地を使っています。
「エアーカシミア」といいます。

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(おかみ)涼しげでフワフワしていますね。まるで雲のような泡のような・・・

(梶原)優しい気持ちでいたいときに、このスカーフを巻くと心が落ち着きます。かなり効果がありますよ(笑)


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(おかみ)ここで質問なのですが、テキスタイルデザイナーというのはどんな仕事なのでしょう?

(梶原)生地をデザインする仕事です。
私たちが暮らしている中で使っている物には、沢山の生地が使われていると思いますが、
その生地の色や柄、風合いなどを考え、染め・織り・編み、刺繍、
プリントなどのテクニックを使いデザインをします。
生地を作るためには、糸を作ることもあります。


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'''先付け 蓮芋 大徳寺麩 時鮭白酢和え'''


(おかみ)道産子だそうですね!

(梶原)はい、札幌で生まれ育ったので札幌が大好きです。
平日は東京での打ち合わせや生地を生産する様々な産地を駆け回っていますが、
土日は北海道に帰ってリフレッシュしています。

(おかみ)御主人は札幌在住?

(梶原)そうです。主人が札幌にいるので週末は帰ってきて一緒にいます、まるで週末婚(笑)


(おかみ)テキスタイルの道を目指したのは、いつ頃?

(梶原)物作りが好きだった母や絵が上手だった兄の影響で、私も小さな頃から絵を描く事が好きでした。
中学の頃からデザイナーになろうと決めていました。
でも親は大反対でしたね(笑)。

(おかみ)親の反対を押し切って挑戦したのですね。

(梶原)ええ、でも、美術の教員なら許すと言われたので最初は美術の教員を目指しました。
そして、大学受験のため美術の予備校に通いました。
そこで小さな転機がありました。


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(おかみ)どんなことですか?

(梶原)予備校の美術の先生に言われたのです。
「君は色の使い方に独特の個性がある。テキスタイルデザイナーという仕事に向いていると思うよ。」と。

(おかみ)それがテキスタイルの道を歩むキッカケになったのですね。

(梶原)はい、心に残った一言でした。
それまでテキスタイルという言葉も知らなかったのですが、興味を持ち、どんな仕事が調べました。

(おかみ)その先生に感謝ですね。

(梶原)その後、札幌の短大の美術科に入学しましたが、1年間で自主退学しました。

(おかみ)退学した理由は?

(梶原)テキスタイルデザイナーという仕事への憧れがあり、もっと専門分野の勉強をしたい気持ちと、
このまま社会に出てもデザイナーという仕事を探す事が出来るか自信がなく、将来について悩みました。
そして、東京のテキスタイルを学べる美術大学を受験する事を決断し、
その準備に時間を使おうと思ったためです。




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'''お造り 鮪 真烏賊 縞鯵 牡丹海老'''

(おかみ)素敵な生き方です!そして東京へ行かれたのですか?

(梶原)多摩美術大学を目指して勉強しながら、アルバイトをして、
予備校の学費や東京の受験にかかる費用を貯めました。
再び受験勉強をして1年後、やっと合格しました!!

(おかみ)多摩美の倍率は高いですよね・・・

(梶原)はい、ちょうどベビーブームの時で競争も激しく、15倍以上だったと思います。


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(おかみ)うわ~~~凄いですね(笑)才能ですね。

(梶原)いえ実は違いまして。
兄は絵がとても上手だったので、自分は才能がないと思っていました。
親からも才能ないから無理だと言われて(笑)。
でも、絵を描く事や物を作る事がとても好きだったから、ダメと言われても自分の気持ちを信じて、
才能がない分、沢山努力をしようと思いました。

(おかみ)多摩美を卒業してからはどうでしたか?

(梶原)新卒で就職し、ブランドのテキスタイル企画の仕事をさせていただきました。
初めて社会に出て、無我夢中でデザインの仕事に向き合いましたが、
3年間程仕事をする中でテキスタイルデザインの仕事を知れば知るほど、
膨大な知識がいる仕事だと気が付き、デザインの感性だけではなく、
技術についても学ぶ必要性を感じました。
そこで、すごく考えましたが、1度立ち止まって、再び勉強をしようと思いました。


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(おかみ)思い立ったらすぐ行動ですね(笑)

(梶原)仕事を1度ストップする事には、とても悩みました。
判断が間違っているかもしれない、二度と仕事に戻れないかもしれないと不安な気持ちが大きかったです。
でも、一度しかない人生、難しい道になるかもしれないけど、頑張ろうと思いました。
学ぶ場所も考えましたが、仕事を経験した後にさらに専門知識を学びたいと思う、
世界中のデザイナーが集まっている事で有名な学校がロンドンにあるのですが、
そのロイヤルカレッジオブアート(RCA)という大学院への留学に挑戦したいと考えました。
でも、甘かった(笑)

(おかみ)すぐ入学できなかったのですか?

(梶原)入学するには、作品審査と面接、論文、英語の試験があるのですが、
英語ができなくて最初の受験では不合格になりました。
本格的に英語の勉強をしなければ、突破できなかったので、まずはロンドンに語学留学し、
デザインの仕事も、アルバイトも全くしないで、1年間、ひたすら英語を勉強しました。
お金もなくて、超貧乏生活でした(笑)。
部屋もまともに借りることができなかったので、
知り合いのフラットに居候させていただき、台所の隅で寝たり(笑)。
台所の冷蔵庫のジージーという機械音が今でも心に残っています(笑)。
苦手なものを勉強し続けたあの頃は、とても辛い時期でした。





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'''煮もの 豚の角煮 冬瓜 白髪葱'''


(おかみ)当時は御主人はなんと言っていましたか?

(梶原)あるとき「もう日本に帰ろうかな・・・」と夫に電話しました。
そうしたら、「今帰ってきたら二度と頑張れない。帰ってきてはいけない。」と言われて(笑)

(おかみ)普通なら帰っておいでと言うところですよね(笑)。
御主人は加奈子さんをよく分かっていますね、大きくて深い愛情を感じます。

(梶原)会社を辞めて賭けた道だったから、諦めるわけにはいかなかった。
今まで応援してくれた人達や過去に頑張った自分に顔向けできるようになりたかった。
だからやるしかないと何度も心の中で呟きましたね。

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(梶原)やっと試験に合格できましたが、学校が始まってもバイトをする暇がなくてお金が無い(笑)。
せっかく掴んだ学べる機会なので、朝から夜まで学びたかった。
でも稼がなくちゃいけない!
RCAの授業の課題は、企業からテーマを与えられてコンペで作品をプレゼンできる機会が多く、
入賞すると賞金を頂けます。常にそれに応募して生活費を稼いでいました。
そりゃあもう、生きるためにも必死でした(笑)。
そして、ヨーロッパの様々な企業がスポンサーとなり、
若手テキスタイルデザイナーを育成するための機関として有名なコンペがあり、
そこで一位を取ったことが大きな転機でした。
日本人で初めての受賞だったので、私も驚きました。


(おかみ)日本人初?それはスゴイ。(一同拍手!)

(梶原)日本人というオリジナリティーを出し、
日本の四季や着物のアイデアをテキスタイルで表現して服を作りました。
その作品を見た審査員の方々からは、テキスタイルの新境地を開拓したと評価して頂きました。
この賞を頂いた事で、様々な展示会に出展する機会を得て、世界中の企業の方と知り合い、
仕事の機会をいただき、フリーランスの道を意識し始めました。




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'''雲丹そーめん'''


(おかみ)大学院を卒業してからは?

(梶原)卒業してからの道を考える機会が大学院で学んでいる時にありました。
コンペで選ばれて、在学中に数カ国の工場に研修に行く機会をいただいたのですが、
その研修の中でも、南アメリカのグアテマラに1か月間滞在し、
織の工場で仕事をした時の経験がとても印象に残り、
卒業後のデザインの仕事の方向性について考えるキッカケになりました。
工場に残っている糸を使って、職人さんと話し合いデザインし、新しい生地のサンプルを制作する。
それをイギリスに持ちかえり、派遣してくださったロンドンのインテリア会社の
カーテンやソファーの生地となって製品化され、工場にも発注が入るという研修でした。

(おかみ)すばらしい研修ですね。

(梶原)そこで感じたのです。
グアテマラという国で布づくりという仕事を通してたくさんの人の雇用が生まれ、
街が活性化する。
地域の産業の重要性を知りました。
それを守るには、色々な物が繋がり、仕事を生み出す事を考えなければいけない。
デザインは物を作るだけではなく、人と人を繋ぎ、仕事と仕事を繋ぐ役目も担う事が出来るのではないか。
それを初めて実感したとき、自分が物を作る事が好きだ、という気持ちを越えた
仕事のやりがいを感じました。
この経験を通して、コンセプトや使いやすさや着やすさなど、
デザインや機能面を追求することばかり考えていた自分にとって、
生活を豊かにするデザインの役割の考え方が広がり、デザインに求める軸が変わった時でした。
大きな変化が生まれ、新たな目標が生まれた時でした。
卒業後、イギリスでバックの柄を提供する仕事や、
織の工場でヨーロッパでのテキスタイルビジネスを経験しながらも、
日本の存在は私の中で大切なものであり、アジアのテキスタイル産業について考え、
日本産地を活性化する仕事に関わりたいと思い、日本に戻りました。

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(おかみ)日本に帰ってきてからの仕事はどうでしたか?

(梶原)大変でした(笑)。
日本で生地を生産している産地は、コスト競争や、時代の変化に伴い、
大変厳しい経済状況の中、廃業、倒産が年々増えています。
その中で仕事を探しても見つからなくて。
もともとメーカーにテキスタイルデザイナーが関わる事があまりないのが日本のテキスタイル産業の特徴で、
デザインの仕事をメーカーさんと直接する事は簡単ではなかったです。
でも、ある不思議な縁で知人に助けていただいて、2社の生地メーカーさんに繋がって。
そこで日本の産地と直接仕事をする事をスタートしました。
世界中のファッションマーケットに提案出来る生地を基準に生地を開発し、
様々なブランドに日本のテキスタイルをプレゼンする活動をしてきました。
そして、産地で生地を開発している時に出会う素晴らしい技術を、
日本の多くの方々にもご紹介したい、生活の中で使ってもらいたいと思い、
当時一緒にテキスタイル販売の仕事をしていた(株)ダイドーインターナショナルさんと共に
「グリデカナ」というテキスタイル発信の製品を販売するブランドを考え、プロデュースし、
2010年9月にスタートしました。
札幌の丸井今井一条館1階にも置いて頂きました。
主に、ストールや小物、服やバッグなどを販売しています。

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(おかみ)これからのテキスタイルに、どのような想いを寄せていますか?

(梶原)今後も、もっともっと日本のテキスタイルを盛り上げたいと思っています。
日本の物作りは世界で高く評価されています。その間口をもっと広げたい。
そのために出来る限りの努力をしたいと思っています。

(おかみ)梶原さんの、前向きな姿勢はどこから来るのでしょう?

(梶原)今のわたしがあるのは、夫である主人の前向きな支えのおかげです。
夫と、夫の両親、そして昔はデザイナーの仕事に大反対だった両親が、いつも応援してくれているおかげ。
自信がなくてネガティブになりやすい私に夫はいつも、「大丈夫だよ」・「絶対うまくいく」と。
その暗示にかかってここまで来られたような気がします。
ずっと言われると本当にできるような気がしてくるのです。

(おかみ)梶原さんはご主人と一心同体ですね。これだけ離れた距離にいても心はひとつ。
今日の梶原さんのお話は、札幌の女性だけではなく若い人すべてに、
大きな勇気を与えると思います。本当にありがとうございました。

(梶原)こちらこそ、ありがとうございました。

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