
人口820人。
北海道でいちばん小さい街、音威子府村です。
ここに砂澤ビッキ記念館(エコミュージアムおさしまセンター)があります。
音威子府の山の中に籠って、風と木と共に過ごし、ひたすら木を彫り続けたビッキ。
ビッキの風と樹との対話が、作品を通して伝わってくるよう。
1989年札幌愛育病院で亡くなるまで、その意欲は変わらなかったといいます。
この通路は「風の回廊」と呼ばれ、風の声を聴き、木に宿る生命を感じながら製作したビッキのこころを感じ取ることができます。

説明をしてくださったのは、川崎映さん。
音威子府村の地域おこし協力隊として活動中の川崎さんは、実は色鉛筆作家としての顔も持つ才能豊かな方。
とても美しい描写が特徴のアート作品を書いているんです。

ビッキの彫刻作品。
木で造ったとは思えない躍動感のある伊勢海老です。
関節の部分もちゃんと動くようになっていて、素晴らしいの一言。

1980年音威子府駅前に作られたトーテムポール、「オトイネップタワー」が保存されています。
木もやがて土に還る、それが自然に表現されていることに、大きなチカラを感じたり。

アトリエ午後3時の部屋。
ビッキは、午前3時に、なにかの「ひらめき」を感じることがあったという。

生活のすべてを「彫ること」で表現する、言葉でさえも。

「ANIMAL目」という作品。
森の中のあちこちに潜む動物の目を感じたのかも。

「いないいないばあー」
1967年に札幌すすきのにあったスタンドバーの装飾を手掛けたビッキ。
いないいないばーといえば、当時は一世を風靡した人気バーだったんですよ。
この店内装飾がここ音威子府で再び展示されております。しかし、ここでお酒は飲めないので注意(笑)。

マッチのデザインまで手掛けていたんですね。
生活に密着する小物などのすべてを手作りしていたんです。

大きなテラスが。
音威子府の山々が見える大きな窓。
こころ静かに、ゆっくりと、ビッキの作品に魅入ることが出来ます。

さて、次は「北海道命名の地」へ。
幕末の探検家だった松浦武四郎がこの地を開拓調査し、後に「北海道」と命名したそうです。
それまでは「蝦夷地」とかいう呼び方だったんですねぇ。

お腹も空いたので、お昼ごはんに。
音威子府といえばやはり黒い蕎麦「一路食堂」さんです。
昭和48年にNHKで全国放送されたという写真看板が残っていてレトロな感じもいいんですよね。
平日の昼だというのにお客様がいっぱいで混んでました。

これからの季節は、あたたかい天ぷら蕎麦も人気ですよね。
また立ち寄りたいと思います。
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